、いかにも情緒的の柔らかさで、雲の中へ溶けている、それらの山々を浮かせて、白銀のような高層の雲が、あざやかな球体をして、幾重にも累《かさ》なって、千万の鱗《うろこ》が水底できらめくように光っている、「へえこの雲じゃあ、時降《しぶ》りにゃあなりっこなし、案じはねえ」と嘉代吉は受け合っているが、それでも朝日の金光を、中途から断ち切って、霧がぴちゃぴちゃ呟《つぶ》やきながら、そそいで来ると、何とも言われない陰欝《メランコリイ》な暗い影が、頭蓋骨の中にまでさして来る、かとおもうと、霧が散って冴えた空が、ひろがるときは、もう足までが軽々と空へ持ち上げられるような気になる。
 谷の日陰の高山植物は、うら枯れて、昆布のようにねっとりと、本性を失っている、やがて米粒ほど小さな、白のツガザクラが咲いていたとおもうと、偃松が黒く露《あら》われる、岩片は縦横に処狭いまでに喰い合っている、尾根にすぐ近くなって、涸沢岳(北穂高)の三角測量標が、ついと出る、東から南へかけて、富士山、甲斐駒、赤石山系の山々、金峰山、八ヶ岳、立科山が、虚空にずらりと立ち並ぶ、西の方はと見れば、白山がいつものように、残雪を纏《まと》っ
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