茶を汲んで出された盆の、菓子皿には、一と塊まりの蠅がたかって、最中《もなか》が真ッ黒になって動いている、アンペラを著《つけ》た馬が、尾をバサリと振るたびに、灰神楽《はいかぐら》をあげたように、黒いのが舞いあがる、この茶屋は車宿をしているが、蚕もやるらしく、桑の葉が座敷一杯に散らかって、店頭には駄菓子、ビール、サイダーなどが並べられてある。
 乗鞍岳は、始終よく見えたが、林に入る頃には、前山に近くなっただけ、頭をちょっと出して、直ぐ引っ込んだ、常念山塊には、雲が鮨でも圧すように、平ったく冠さって、その隙間から、仏手柑《ぶしゅかん》のような御光が、黄色く焦げるようにさしている、路端に御嶽大権現だの、何々霊神だのという、山の神さまや、行者の名を刻んだ石塔を見るにつけても、もう山国へ来たという感じが、あわただしく頭をそそる。
 アルプスおろしの風は、馬車のズックの日除けを吹きまくって、林の中へ通りぬけ、栗の青葉にバサバサ音をさせて、その行く末は千曲川の瀬音をみだしている、立場の茶屋の前を、水がちょろちょろ流れているのは、さすがに気持がいいが、見る限りの青草は、埃のために灰色に染めかえされて、蜘
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