薙《な》いだ阿房峠が低く走り、その上に乗鞍岳の頂上が全容をあらわした、左の肩の最高峰朝日岳には、雪が縦縞の白い斑《ふ》を入れている、小さな蚋《ぶよ》が眼の前を、粉雪のように目まぐるしく舞う、森の屋根を剥がされた空からは、晃々として燬《や》き切るような強い光線を投げつける。
「押し出し」は上へ行くほど、石が大きくなって来る、山体の欠片が、岩壁の破れた傷口から、新しく削り取られては、前後左右に無秩序に転がっているのである、眼下には上河内《かみこうち》の峡流が林の中を碧く蜿《う》ねり、ところどころに白い洲に狭められて、碧水が白い泡を立てて流れている、風がさやさやと森を吹き抜いたかとおもうと、焼岳の中腹から麓へかけて森林の中から灰が、砂煙のように白く舞い※[#「風にょう+昜」、第3水準1−94−7]《あ》がって、おどろくべき速力で、空の一角を暗くするばかりに、ずんずんと進行をはじめる。この灰の行くところ、峠を越え里に出て、今頃は高原の人々に、手を額に加えて仰ぎ視させているであろう。
 岳川を仰ぎながら、「押し出し」は穂高岳の方へと屈曲して行く、それも段々|蹙《せば》まって、乾き切った石の谷も、
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