つれ合って、大きくひろがると、霞沢岳でも、穂高岳でも、胸から上に怖ろしく高い水平線が出来て、ピタピタと岩壁を圧しつけている、こういうときには、平常緩やかな傾斜を、梓川まで放出して、低く見える焼岳までが、緑の奥行きを深くして、山の線が霧と霧の間に、乱れ打つ、椀を伏せたような阿房《あぼう》峠まで、重たい水蒸気にのしかけられて、黯緑《あんりょく》で埋まった森の中に、水銀が湛えられる、その上に乗鞍岳が、峻厳にそそり立って、胴から上を雲に没している。
 谷風がさやさやと、川楊の葉に衣擦《きぬず》れのような音をさせて通行する、雲はずんずん進行して、山の緑は明るくなったり、暗くなったりする。
 夕日がさすころになると、岩魚釣がビクを下げて、川縁《かわべり》を伝わって来る、楊の影が、地に落ちて、棒縞がかっきりと路を染める中を、人の足だけが出たり入ったりしている、それから間もなく岩魚の塩焼が、膳にのぼる頃になると、楊の葉の中を、白い蛾《が》が絮《わた》のように飛んで、室を目がけて、夕日に光る障子に、羽影をひらめかせる、風が死んで楊の葉はそよとも動かない。
 縁に出て池を見ると、水馬《みずすまし》がつうい
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