せているのではあるまいかと思われた、崖の高い、曲りくねった路には、長い蔓を這《は》わせて、葛の三ツ葉が、青く重なり合い、その下から川の瀬音が、葉をむくむくと擡《もた》げるようにして、耳に通《かよ》って来る、対岸の山を仰ぐと、斜めに截《き》っ立った、禿げちょろの「截《たち》ぎ」の傍には唐松の林が、しょんぼりと黒く塊まっている。
 山の宿屋というものを、思わせる「糸屋」と看板を出した旅籠屋《はたごや》には、椽側に紡車《つむぎぐるま》を置きっ放しにして、ひっそりかんとしている、馬車はここで停まった。
 私は重い行李を、車の中にしばらく置き去りにして、島々橋を渡った、橋の下は、島々谷の清い水が、蜻蛉《とんぼ》の羽を見るように、底の石を綾に透かして、落ち口には、卵の殻のような、丸い白石が、おのずと並べられて、段を作っている、石灰岩の上を流れるために、いつも濁っている梓川の本流に、この島々谷の水が、いきおい込んで突きかかるところは、灰と緑と両様の水が、丁字に色別けをされて、やがてそれが一つの灰白色に、ごっちゃにされて、縺《も》つれ合いながら、来た後を振り返り、振り返り、グイグイと流れて行くのを見ていると、この流れにも、焼岳の灰が交っているのではあるまいかと、おもわれる、そこから島々谷の水源の方を仰いでは見たが、青々とした山々が、幾重にも襟を掻き合せて、日本アルプスの御幣のような山々を、その背後に封鎖して、見せようともしない。
 島々の清水屋では、それしゃ[#「それしゃ」に傍点]のあがりらしい女房が、昨日からお待ち申していたの、案内者を用意して置いたのが、ムダになったが、未だ足留めをしているのと、よくひとりでしゃべくる、二階に上って、烏賊《いか》に大根おろしをかけたのを肴に、茶のいきおいで、ボソボソした飯を掻き込む、大根の香物が、臭いのには少なからず閉口させられた、かみさんに云い付けて、馬車から行李を運ばせたりしているうちに、頼んで置いた嘉代吉(老猟師嘉門次の悴《せがれ》)も、仕度が出来て待っているというので、単衣《ひとえ》を洋服に着換えるやら、草鞋《わらじ》を引きずり出すやらで、登山装束を整える、そんなことをして午《ひる》を過ごした。

      四

 島々谷に沿って、溯って行くと、杉やら唐松やらが、茂り合って、もうここからは、人と自然の間に線を引かれている、この谷へ入るの
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