その爪先を綺麗《きれい》に洗って流れて行く、ノキシノブの、べったりと粘《つ》いた、皺の皮がたるんだ桂の大木や、片側道一杯に、日覆いになるほどに、のさばっている七葉樹《とち》やで、谷はだんだん暗くなる、その木の下闇を白く抜いて、水は蒼暗い葉のトンネルを潜って、石を噛んでは音を立てる、小さな泡が、葉陰を洩れた日の光で、紫陽花《あじさい》の花弁を簇《むら》がらしたような、小刻みな漣《さざなみ》を作って、悠《ゆ》ったりと静かにひろがるかとおもうと、一枚|硝子《ガラス》の透明になって、見る見る、いくつも亀甲紋に分裂して、大きな水粒が、夕立降りにざあと頽《くず》れ落ちたり、飛び上ったりする。
私はくたびれたので、椹《さわら》の大木の根元に腰をかけて、嘉代吉と話をしながら、梢の頭をふり仰ぐと、空は冴えた碧でもなく、曇った灰でもなく、乳白色の雲が、銀光りをして、鱗《うろこ》のようにぬらぬらと並び合い、欝々《うつうつ》と頭を押しつけて、ただもう蒸し暑く、電気を含んだ空は、嵩《かさ》にかかって嚇《おど》かしつけるようで、感情ばかり苛立《いらだ》つ、そうして存外に近い山までが、濃厚な藍※[#「靜のへん+定」、第4水準2−91−94]《らんてん》色や、紺色に染まって、緑と青のシンフォニイから成った、茫とした壁画を見るようで、強く暗く、不安な威圧を与える、さすがに谷の底だけに、木の根にも羊歯《しだ》が生えたり、石にも苔が粘《こ》びりついたりして、暗い緑に潜む美しさが、湿《うる》おっている。
谷が狭くなるほど、両岸は競《せ》り合うように近くなって、洗ったような浅緑の濶葉に、蒼い針葉樹が、三蓋笠《さんがいがさ》に累《かさ》なり合い、その複雑した緑の色の混んがらかった森の木は、肩の上に肩を乗り出し、上から圧しつけるのを支えながら、跳《おど》り上った梢は、高く岩角に這いあがり、振りかえって谷を通る人を、覗き込んでいる、この谷を通る人は、単調な一本道でありながら、山の襟が折り重《かさな》っているので、谷がまだ幾筋も出ていると知り、奥山の隈がぼーっと青くなっているので、日が未だ高いのであると思っている、そうして前の山も後の山も、森林のために、肌理《きめ》が荒く、緑※[#「靜のへん+定」、第4水準2−91−94]《りょくてん》にくすんだところへ、日が映って、七宝色に輝き出すと、うす暗い岩屏風から、高い
前へ
次へ
全40ページ中6ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
小島 烏水 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング