上を仰ぐと、平ッたい赭渋色の岩の上に、黒く焦げた岩が、平板状に縞を作った火口壁が、手の達《とど》くほど近く見え、鉛のように胸壁に落ちている雪は、銀の顫《おのの》くように白く光って、叩けばカアンと音がしそうだ、空はもう純粋なるアルプス藍色となって、海水のように深秘に静まり返っている、仰いだ眼を土に落すと、岩も雪も、この色に透徹して、夏には見られない。冴え冴えと鋭い紫がかった色調が、凸半球の大気に流動している。
 六合目――宝永の新火口壁(いわゆる宝永山)まで来ると、さすがに高嶺の冬だと思われる冷たさが手足の爪先まで沁みて来る。これから上の室という室は、戸を厳重に密閉して、その屋上には、強風に吹き飛ばされない用心に、大塊の熔岩《ラヴア》が積み重ねられ、怖るべき冬将軍《ゼネラル・ウインター》の来襲に備えられている、下界はと見れば、大裾野の松林は、黒くして虫の這う如く、虎杖や富士薊は、赭黄の一色に、飴のようになって流れている、凡《すべ》てが燻《いぶ》されたようで、白昼の黄昏に、気が遠くなるばかりである。
 六合五勺にして、頬は皮膚病患者のように黄色になった、弟はと見れば、唇は茄子のように、うす
前へ 次へ
全12ページ中8ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
小島 烏水 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング