、飛ぶ禽《とり》も翼を縮めるべき冬が来たのだ。その冬の先駆なる高嶺の雪!
自然は富士山という一つの題材を、幾十百部に切り刻んで、相模野からかけて、武蔵野辺に住む人たちに朝となく、夕となく、種々の相を示してくれる。その中にも山頂に落ちた白雪は、私の神経を刺戟することにおいて、幾百反歩の雑木林の動揺と、叫喚とにも、勝っている。
その新雪光る富士山の巓《いただき》を、私が踏んだのは、去《さる》四十年十月の末であった。
二
「十月二十六日夜九時、御殿場富士屋へ着、寒暖計五十六度、曇天、温に過ぐ、明日の天候を気遣うこと甚だし。」
と日記に書いてある。
頼んで置いたので、翌くる朝午前二時に起してくれたが、大裾野は鼻を摘まれても解らないほど、闇黒がどこまでも拡がっているので、少なからず頭を悩ました。しかし案内の剛力(名を勝又琴次郎という)が、今まで幾回も登山したが、頂上へ登らずに、下山したのは、ただの一度しかないと「山運の好い男」を誇っているのが、何だか便りのようにも思われて、私と弟とは、その男に先導されて、闇の中を、行けるところまで行くことにした。
焼砂が足の指先に、ザクザ
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