磨きをかけるのは、山の雪である、アルプスばかりではない『甲斐国志』にも、白峰《しらね》の夕照は、八景の一なりとある、山の雪は烈しい圧迫のために、空気泡を含むことが少ないから、下界の雪のように、純白ではない、しかも三分の白色を失って、三分の氷藍色を加え、透明の微小結晶を作って、空気の海に、澄徹に沈んでいる、群山の中で、コバルト色の山が、空と一つに融ければとて、雪の一角は、判然《はっきり》と浮び上る、碧水の底から、一片の石英が光るように。
蒼醒《あおざ》めて、純桔梗色に澄みかえる冬の富士を、武蔵野平原から眺めた人は、甲府平原またはその附近の高台地から白峰の三山が、天外に碧い空を抜いて、劃然《かっきり》と、白銀の玉座を高く据えたのを見て、その冴え冴えと振り翳《かざ》す白無垢衣《しろむくえ》の、皺《しわ》の折れ方までが、わけもなく魂を織り込もうとするのに魅せられるであろう、水を打ったように粛《し》んみりとした街道の樹も顫《ふる》え、田の面の水も、慄然《ぞっ》として震えるような気がするであろう。
自分は甲斐|精進《しょうじ》湖に遊んで、その近傍の山から、冬の白峰を見たことを、鮮やかに記憶して
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