紀行文家の群れ
――田山花袋氏――
小島烏水
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)犀利《さいり》
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)志賀|重昂《しげたか》
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)※[#「勹<夕」、第3水準1−14−76]
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明治文壇には、紀行文家と称せられる一群の顔ぶれがあった。根岸派では、饗庭篁村が先達で、八文字舎風の軽妙洒脱な紀行文を書き『東京朝日』の続きものとして明日を楽しませた。幸田露伴にも『枕頭山水』の名作があり、キビキビした筆致で、自然でも、人間でも、片っぱしからきめつけるような犀利《さいり》な文章を書いている。しかしこのご両人は、あまりに老大家であって、「一群」からは、かけ離れていた。一群の人たちは、遅塚麗水、大町桂月、江見水蔭、田山花袋、久保天随、坪谷水哉などであるが、花袋が紀行文家と言われた時分は、自然派文学勃興以前のことで、文章に感傷癖はあったが、淡泊清新、ことに武蔵野あたりの原野や雑木林の寂しさ
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