馬の切通しとへて「山中の荒駅なる小河内村」へと着いた。そしてまた、不遇の人にして不遇の山水を見る、あに悲しからずやと、慨然としている。実にその頃は、奥多摩の風景を知る者なく、説く者なく、東都を隔てること二十里にすぎないほどの近隣でありながら、多摩川上流、あるいは奥多摩は、全く閑却されていたのであった。それを見つけ出して世間の注意をひいたのは林※[#「雨/鶴」、第3水準1−93−74、76−6]梁の昔は言わず、田山花袋を以て多摩川開発の恩人とせずばなるまい。聞説《きくな》らく多摩川に沿うた溝には、独歩の「忘れ得ぬ人々」の作にちなんで、独歩の碑が立っているとか、さらば近代における多摩川風景の祖道者として、花袋の碑は、そこに建てらるべきではなかろうか。
 花袋の紀行文集の中では『南船北馬』(明治三十二年九月版)が最もすぐれている。「多摩の上流」や「日光山の奥」のごとき名篇が、その中に収められている。[#地付き](昭和十一年七月)



底本:「アルピニストの手記」平凡社ライブラリー、平凡社
   1996(平成8)年12月15日初版第1刷発行
入力:大野晋
校正:伊藤時也
2000年11月2
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