候貴兄の批評は大に愛読いたし居候益々御尽力あらんことを祈り申候例の乱筆御ゆるしを乞うの外なく候[#地から1字上げ]不一
 烏水大兄 二十九日[#地から1字上げ]田山生
 次に、小生表記の処に移転仕候
[#ここで字下げ終わり]

 東京牛込北山伏町三十八田山鉄彌二十九日夕、とあるが、消印は明治三十八年八月三十一日、私の住宅は、横浜西戸部町六三五、手紙は半紙に墨筆で書いてある。
 右の文中にもある通り私の小著『日本山水論』を、山崎直方氏に見せたのは花袋で、山崎氏と私と知り合いになったのも、それが機縁の一つであったことと、信じている。
 花袋は、その後「蒲団」や「一兵卒」など自然主義派の見本のような小説を作って、国木田独歩、岩野泡鳴ら同主義の作家と呼応して、自然主義を文壇思潮の主流たらしめ、硯友社その他の既成老衰作家などを、ひとたまりもなく押し流してしまった。一方『文章世界』に倚《よ》って、若年を養成し、勢い当たるべからざるものがあった。その余威を駆って、と言っては不穏かもしれないが、自然派以外の作者たちは、たいていこの一派でやっつけられた。たまたま『文章世界』第二巻第十三号で、片上天弦、前
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