衛《たかとうにへい》[#ルビの「たかとうにへい」は底本では「たかとうじんべえ」]氏が、山岳辞彙ともいうべき浩澣《こうかん》な原稿をかかえて、志賀先生を訪問せられたとき、横浜にいる人が、こんな紀行文を発表している、山を知っている人らしいから、訪問してみたらどうかと、注意されたそうだ。高頭君が、その原稿をかかえて、私の山王山の宅を尋ねられたのも、そのためであった。原稿は、後に『日本山嶽志』と題して出版せられた。
その後、私はたしか孤雁君からと思うが、ビョルンソンという作家の、山岳小説のことを聞かされた。花袋も何かでビョルンソンのことを書いていたかと記憶しているが、それについて花袋に問い合わせの手紙を出した。その文中で花袋の近作、紀行文集『草枕』の中の事実に合っていない個所を注意した。右に対する返事、
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拝啓 其後は御無沙汰にのみ打過申候偖小生今月十七日より北陸漫遊の途に上り漸く今日帰京御手紙の御返事相おくれ申訳これなく候草枕につき有益なる忠言を賜り有難多謝候再版の時には訂正いたし度と存候貴著『日本山水論』は草村氏より拝受、確かに一佳作たるに背かずと存候一読後大日
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