》富士山の裾《すそ》を、御殿場《ごてんば》から佐野(今は「裾野《すその》」駅)、三島、沼津と、廻《まわ》って行くようで、しかも東海道が古くからの宿駅であるように、シャスタ山麓《さんろく》の村落も、街道も、一八四八年以後の、米国西海岸への移民時代には、ある時には、印度人と白人とが必死になって闘ったり、殊《こと》に一八五一年、シャスタ山から、三十五|哩《マイル》離れたワイレカというところに、金鉱が発見されてからは、成金《なりきん》を夢見る山師たちが、鶴嘴《つるはし》をかついで、ほうほうたる髯面《ひげづら》を炎熱に晒《さら》して、野鼠の群のように通行したところで、今では御伽話《おとぎばなし》か、英雄譚《えいゆうたん》の古い舞台になっている。かつて桑港《サンフランシスコ》の古本屋で見たその頃の石版画に、シャスタ火山が、虚空《こくう》に抛《な》げられた白炎のように、盛り上っている下を、二頭立ちの箱馬車が、のろくさと這《は》いずって、箱の中には、旅の家族とおぼしい女交りの一連が、窮窟そうにギッシリ詰まっているが、屋根の上にはチョッキ一枚になって、シガアを燻《くゆ》らしている荒くれ男たちが、不行儀に
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