た頃には未だ小舎はなく、シェラ山岳会考案の「睡眠袋」を馬に積ませて来たので、蓑虫《みのむし》のように、その中にすッぽり潜《もぐ》り込んで寝たが、乾き切った小石交りの砂地の上で、日本アルプスのように、柔らかい草原を褥《しとね》にする贅沢《ぜいたく》は、思いも寄らず、睡眠不足が祟《たた》って、翌《あ》くる日の登山には、大分こたえた。
森林帯の尽きるところから、大雪渓が始まるが、この雪渓の長々しい傾斜は、さすがに白馬岳あたりの比ではない。翌くる十一日の朝、一行はこの単調の雪渓を、のたり、のたりと登って、巨大な堆石《たいせき》を戴いた雪の「テーブル」の側へ立って写真を撮ったり、雪の穴ぼこの中へ、更紗《さらさ》の紋でも切り篏《は》めたように、小さい翼を休めているところの、可憐《かれん》なる高山蝶を、いじくったりして、雪渓を、ものの三千五百尺ばかり登ると、富士山の胸突八丁にも喩《たと》えられるところの、火口壁へとぶつかった。これを越えると、絶頂に辿《たど》りつくことになるので、ここでさえ、高さは一万三千尺近い見当である。最後の噴火のあったという「レッド・ブラッフ」の赭《あか》ら岩が、眉《まゆ》を焦《こが》すばかりに、近く聳《そび》えている。足許《あしもと》一面に、熔岩や、焼石が狼藉《ろうぜき》して、歩きにくい。生憎《あいにく》時計を見ると、かれこれ午後二時に近い、空気も稀薄になり始めて、絶頂まで、遅々《ちち》たる足取りでは、今夜中にホテルまで、戻り得られるか否かも、覚束《おぼつか》ないので、ここから下山することにした。
シャスタへの登路は、氷河踏査を主とするならば、私たちの路を取らずに、南のマック・クラウド村から登るか、またはやや北行して、シャスタとシャスチナ間の、窪地《くぼち》を目指《めざ》して登る方が、よかったということを、後から聞かされた。後の路を取れば、九千尺の高度から、ホイットニイ氷河の末端が出現して、「クレッヴァス」や、堆石の状態がよく判明するということであった。
登山記としては、これだけだ。短くして、呆気《あっけ》ないのは、私も知っている、しかしシャスタ山は、我が富士山の如く、登る山であるが、同時に眺望する山だ。この山を中心にして、周囲の展望は変化する、大空へ掛けた額面として、横から見たり、裏返しに見られる山だ。
私は、その後、幾回となく、山麓を通過した、
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