本道から折れて森の中に突き入る、この辺は草原で、野薊《のあざみ》、蛍袋、山鳥冑などが咲いている、幅の狭い川、広い川を二つ三つ徒渉《かちわたり》して、穂高山の麓の岳《たけ》川まで来ると雨が強くなった、登山をあきらめて引きかえすころは、濡鼠《ぬれねずみ》になってしまう、猟士は山刀《なた》を抜いて白樺の幹の皮を上に一刀、下に一刀|傷《きずつ》け、右と左の両脇を截ち割ってグイと剥《む》くと、前垂懸け大の長方形に剥《は》げる、頸の背骨に当るところを彎形《わんがた》に切り抜いて、自分の肩にかけてくれた、樺の皮で一枚合羽が出来たのはよいが、その皮には苔も粘《つ》いている、蘭科植物も生えていたから、後《うしろ》からは老木の精霊が、森の中を彷徨《さまよ》っているように見えたろう、雨は小止みになる。
 蒼黒い森を穿って、梓川の支流岳川は、鎌を研ぐように流れる、水の陰になったところは黒水晶の色で、岸に近いところは浮氷のような泡が、白く立っている、初めは水が流れている、後には水が水の中を駈け抜けながら人の足を切る、森には大石が多い、どの石も、どの石も、苔が多い、苔の尖った先には、一粒ずつの露の玉を宿している、
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