暗鬱な森の重々しい空気は、白樺の性根の失せて脆《もろ》い枝や、柔嫩《じゅうなん》な手で人の脛《すね》を撫でる、湿った薇《わらび》や、苔や、古い落葉の泉なす液汁や、ジメジメする草花の絨氈《じゅうたん》やそんなものが、むちゃくちゃ[#「むちゃくちゃ」に傍点]に掻き廻されて、緑の香が強い、この香に触れると、雪の日本アルプスという感じが、胸に閃めく。
 今度はまた川になる、川の面は、呼吸《いき》も吐《つ》かず静まりかえっているように見えるが、足を入れると、それこそ疾風《はやて》が液体になったように全速力で走っている、流れの浅く、彎入した、緩やかなところに背を露わした石がある、苔が厚く活物《いきもの》の緑が蠢《うご》めいている、水草の動くのは、髪の毛がピシピシと流電に逆立つようだ。
 水の流れに、一羽のオツネン蝶が来た、水の上を右に左にひらりと舞う、水はうす紫の菫色、蝶は黄花の菫色、重弁の菫が一つに合したかとおもうと、蝶は水を切ってついと飛ぶ、水は遠慮なく流れる、蝶も悠々と舞う、人間の眼からは、荒砥《あらと》のような急湍《きゅうたん》も透徹して、水底の石は眼玉のようなのもあり、松脂《やに》の塊《
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