こんなのが出来る、しばらくして、虚線が消えると、兀岩《こつがん》削るが如き石の峰が峻立する、柔《やわらか》い線で出せば出せるものかなとおもう。
 川に沿《つ》いて行く、この国特有の信濃|撫子《なでしこ》(実は甲州にもある)が、真紅に咲いている、河原に咲くことが多いので、河原撫子と、土地の人はいうようだ、森と川の間に、一筋道が通じている、本流に「へ」の字をやや平にしたような橋が架っている、取りつきに杭を組んであるのは、牛馬の向岸へ渡るのを拒《ふせ》ぐためだ、横の棒を一本外して、人は出入をする、橋の半《なかば》に佇んで振り仰ぐと、焼岳の頭は、霧で見えなかったが、巨人がこの川を跨《また》いでいる態《さま》がある。
 橋下の水は、至って青くかつ深い、毎朝毎朝仙人が、上流の方で、幾桶かの藍を流しているに違いない、深いところは翡翠《かわせみ》色に青く、浅いところも玉虫色に雨光りがしている、川に産まれた岩魚は、水の垢から化して、死ぬると溶けて、素《もと》の水に帰るかとおもうまでに、水底に動かないでいる、人影がさしたりすると、ついと遁《に》げる、さすがに水の中で水が動いたのでもないことだけが解る。
 
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