には閉口した、宿屋界隈に多いのは蕗《ふき》で、大きいのは五、六尺の丈に達する、飛騨の蒲田から焼岳を越して来る人も、島々から徳本峠を越して来る人もこの宿で落ち合うが、荷物に蕗の五、六茎を括りつけていないのはない、猟士の山帰りの苞《つと》にも、岩魚を漁る叺《かます》の中にも蕗が入れてある、同じく饗膳に上ったことは、言うまでもない。
翌《あ》くる日は穂高岳に上るつもりで、朝|夙《はや》く起きた、宿の女が「飯が出来やしたから、囲炉裏の傍でやって下せえ、いけましねえか」と、畏る畏る閾《しきい》越しに伺いに来る、いいとも、と返辞して大囲炉裏の前に、蝋燭を立て、猟士や宿の人たちと、車座になって飯を済ます、準備《したく》も整って出かけると、雨になった。
宿の前には、梓川の寒流が走っている、この川は、北から出て、西へと迂回し、槍ヶ岳、穂高山、焼岳などの下を蜿《う》ねり、四山|環峙《かんじ》の中を南の方、島々に出て、また北に向いて走るので、アルプス山圏を半周することになる、川を隔てた八右衛門岳は、霧雨の中から輪廓だけをあらわす、淡い水に濃い水で虚線を描《か》いたようだ、頑童が薄墨で無遠慮に線を引くと、
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