です。それが、いわゆる惑業苦の関係[#「惑業苦の関係」に傍点]です。ちょうどあの酒飲みの一生のように、私どももまた同じことを、繰り返し繰り返しやっているのではありませんか。この因果関係、この縁起の関係を十二の形式によって示したものが、つまりこの「十二因縁」です。「十二縁起」といわれる「因縁の哲学」です。だから、無明に出発している私どもの人生は、苦であるのはあたりまえ[#「あたりまえ」に傍点]のことです。無明の無知を、根本的に絶滅しないかぎり、苦の世界は、いつまでも無限に継続してゆくのです。したがって、はじめから無明がなければ、無明の尽きることもなく、自然、老死もなく、また老死のつきることもないわけです。
死は生によって来る[#「死は生によって来る」は太字] 今からおよそ千三百余年前に、支那《しな》に嘉祥《かじょう》大師というたいへん有名な方がありました。彼は三|論宗《りんしゅう》という宗旨を開いた高僧でありますが、その臨終の偈《げ》に、こんな味わうべき偈文《ことば》がのこされているのです。
「歯を含み、毛を戴《いただ》くもの、生を愛し、死を怖《おそ》れざるはなし。死は生に依って来たる[#「死は生に依って来たる」に傍点]。われ若《も》し生まれざれば、何によって死あらん。宜《よろ》しくその初めて生まるるを見て、終《つい》に死あることを知るべし。まさに生に啼《な》いて、死を怖るること勿《なか》れ」
(含[#レ]歯戴[#レ]毛者。無[#二]愛[#レ]生不[#一][#レ]怖[#レ]死。死依[#レ]生来。吾若不[#レ]生。因[#レ]何有[#レ]死。宜[#下]見[#二]其初生[#一]知[#中]終死[#上]。応啼[#レ]生勿[#レ]怖[#レ]死。)
後世、この遺偈を「死不怖論《しふふろん》」と称しております。有名な万葉の歌人|山上憶良《やまのえのおくら》も、
「生るれば必ず死あり。死をもし欲せずんば、生れざらんには如《し》かじ」
といっています。ほんとうのことをいえば、たしかにその通りでしょう。生があればこそ[#「生があればこそ」に傍点]、死があるのです[#「死があるのです」に傍点]。「死ぬことを忘れていてもみんな死に」です。忘れる、忘れないはともかく、みんな一度は、必ず死んでゆくのです。だから、死は生によって来る以上、生だけは楽しく、死だけが悲しい、という道理はないわけです。理窟《りくつ》からいえば、母胎を出でた瞬間から、もはや墓場への第一歩[#「第一歩」に傍点]をふみ出しているのです。だから応《まさ》に生に啼いて、死を怖るること勿れです。死ぬことが嫌《いや》だったら、生まれてこねばよいのです。しかしです。それはあくまで悟りきった世界です[#「悟りきった世界です」に傍点]。ゆめと思えばなんでもないが、そこが凡夫で、というように、人間の気持の上からいえば、たとい理窟はどうだろうとも、事実[#「事実」に傍点]は、ほんとうは、生は嬉《うれ》しく、死は悲しいものです。「|骸骨[#「骸骨」は太字]《がいこつ》の上を|粧[#「の上を|粧」は太字]《よそ》うて花見かな[#「うて花見かな」は太字]」(鬼貫)とはいうものの、花見に化粧して行く娘の姿は美しいものです。骸骨のお化けだ、何が美しかろうというのは僻目《ひがめ》です。生も嬉しくない、死も悲しくない、というのはみんな嘘《うそ》です。生は嬉しくてよいのです。死は悲しんでよいのです。「生死《しょうじ》一|如《にょ》」と悟った人でも、やっぱり生は嬉しく、死は悲しいのです。それでよいのです。ほんとうにそれでよいのです。問題は囚われない[#「囚われない」に傍点]ことです。執着しない[#「執着しない」に傍点]ことです。あきらめることです。因縁と観ずることです。けだし「人間味」を離れて、どこに「宗教味」がありましょうか。悟りすました天上の世界には、宗教の必要はないでしょう。しかしどうしても夢とは思えない、あきらめられない人間の世界にこそ、宗教が必要なのです。しかもこの人間味を、深く深く掘り下げてゆきさえすれば、自然《おのずから》に宗教の世界に達するのです。自分の心をふかく掘り下げずして、やたらに自分の周囲を探《さが》し求めたとて、どこにも宗教の泉はありません。まことに、
「尽日春を尋ねて[#「春を尋ねて」は太字]春を得ず。茫鞋《ぼうあい》踏み遍《あまね》し隴頭《ろうとう》の雲。還り来って却《かえ》って梅花の下を過ぐれば、春は枝頭に在って[#「春は枝頭に在って」に傍点]既《すで》に十分[#「に十分」に傍点]」(宋戴益)
です。
「咲いた咲いたに、ついうかされて、花を尋ねて西また東、草鞋《わらじ》切らして帰って見れば、家じゃ梅めが笑ってる」
です。一度は、方々を尋ねてみなければ、わからないとしても、「魂の故郷[#「魂の故郷」は太字]」は、畢竟《ひっきょう》わが心のうちにあるのです。「家じゃ梅めが笑ってる」です。泣くも自分、笑うも自分です。悩むも、悦《よろこ》ぶも心一つです。この心をほかにして、この自分をのけものにして、どこにさとりの世界を求めてゆくのでしょうか。求めた自分《おのれ》は、求められた自分なのです。求めた心は[#「求めた心は」に傍点]、求められた心なのです。だから釈尊は、人間の苦悩《くるしみ》はどうして生ずるか、どうすればその苦悩を解脱することができるか、という、この人生の重大な問題をば、この「十二因縁」という形式によって、諦観《たいかん》せられたのです。そして無明を根本として、老死の道を辿《たど》り、同時にまた、老死[#「老死」に傍点]を基礎として、無明への道を辿り、ここに「十二因縁」の順と逆と[#「順と逆と」に傍点]の二つの見方によって、ついに「十二因縁皆心に依る」という、さとりの境地にまで到達されたのです。十二因縁皆心に依る[#「十二因縁皆心に依る」は太字]とは、まことに意味ふかい言葉ではありませんか。こんな唄《うた》があります。
「鏡にうつるわが姿、つんとすませば、向こうもすます。にらみ返せば、にらんでかえす。ほんにうき世は鏡の影よ。泣くも笑うもわれ次第」
まったくそのとおりです。所詮、一心に迷うものは衆生です。一心を覚《さと》るものが仏です。小さい「自我」に囚われるかぎり、人生は苦です。たしかに人生は苦です。しかし、一たび小さい自我の「繋縛《けいばく》」を離れて、如実《にょじつ》に一心を悟るならば、一切の苦悩は、たちまちにしておのずから解消するのです。要は、一心の迷いと悟りにあります[#「一心の迷いと悟りにあります」に傍点]。まことに、
「眼裏《がんり》塵《ちり》あれば三界は窄《せま》く、心頭《しんとう》無事《ぶじ》なれば一|床《しょう》寛《かん》なり」
です。一心に迷うて、あくまで小さい自我に固執するならば、現実の世界は、畢竟《ひっきょう》苦《く》の牢獄《ろうごく》です。しかし、一たび、心眼[#「心眼」に傍点]を開いて、因縁の真理に徹し、無我の天地に参ずるならば、厭《いと》うべき煩悩《ぼんのう》もなければ、捨てるべき無明《まよい》もありませぬ。「渋柿《しぶがき》の渋がそのまま甘味かな」です。渋柿の渋こそ、そのまま甘味のもとです。渋柿を離れて、どこに甘柿がありましょうか。
釈尊の更生[#「釈尊の更生」は太字] その昔、釈尊は人間苦の解脱のために、出家せられました。妻子と王位とをふりきって、敢然として、一介の沙門《しゃもん》となり、そして決然、苦行禁慾[#「苦行禁慾」に傍点]の生活に入られました。しかし、六か年に亙る[#「亙る」は底本では「互る」]苦行の生活は、どうであったでしょうか。それは、いたずらに肉体を苦しめるのみで、そこにはなんら解脱の曙光《ひかり》は見出されなかったのです。ここにおいてか、最後の釈尊の到達した天地は、実に自我への鋭き反省でした。しかも、一たびは家を捨て、人を捨て、肉体までも捨てんとした釈尊は、菩提樹下《ぼだいじゅか》の静観によって、ついに心において復活したのです。「十二因縁一心による」という、無我《むが》の体験によって、人間としての釈尊は、まさに仏陀としての釈尊[#「仏陀としての釈尊」に傍点]となって更生されたのです。迷える人間の子|悉達《シッダルタ》は、ついに「因縁」、「無我」の内観によって、三界の覚者、仏陀《ほとけ》として、まさしく誕生したのです。仏誕ここに二千五百余年、釈尊は生まれ、そして彼岸へ逝《ゆ》きました。だが、「因縁」、「無我」の原理は、宇宙の光[#「宇宙の光」は太字]として、今もなお、燦然《さんぜん》として輝いています。いや、人間がこの地上に生活するかぎり、未来永遠に輝いてゆくことでありましょう。
仏陀釈尊はわれわれに教えています。
「過去の因を知らんと欲せば、現在の果[#「現在の果」に傍点]を見よ。未来の果を知らんと欲せば、現在の因を見よ」
と、まさしくそれは偽りなき真理のことばです。ライプニッツのいっているとおり、現在は、実に「過去を背負い、未来を孕《はら》める」現在です。ゆえに、過去の因は、とうぜん現在の結果によって知られるのです。永遠の過去を背負った今日は、同時に永劫《えいごう》の未来を孕める今日です。今日は単なる今日ではない。まさしく、「永遠なる今日」です。歴史的現実です。現在なくして昨日もありません。今日という現在は、一切の過去を含み、そしてまた一切の未来を孕んでいるのです。詩人グレークの「刹那《せつな》に永遠を掴《つか》む」というのも、まさしくこの境地をいったものです。ほんとうに詩人のいっているごとく、「昨日は生きた。今日は生きている[#「今日は生きている」は太字]。明日も生きるだろう」です。生きたのは昨日です。生きるだろうは明日です。真に生きているのは今日です[#「真に生きているのは今日です」に傍点]。昨日の私も私でした。明日の私も私でしょう。しかし、今日の私は昨日の私ではありません。明日の私もまた今日の私ではありません。所詮、世の中のこと、すべては「一|期《ご》一|会《え》」です。一生たった一度きりです。「一生一別」です。「世の中は今日より外はなかりけり」です。昨日は過ぎた過去、明日は知られざる未来です。『中阿含経《ちゅうあごんぎょう》』は、われらにこう語っています。
「過ぎ去れるを追い念《おも》うこと勿《なか》れ、未《いま》だ来《きた》らぬを待ち設くること勿れ。過去は過ぎ去り、未来は未だ来らざればなり。ただ現在の法を観《み》よ。うごかず、たじろがず、それを知りて、ただ育てよ。今日なすべきことをなせ。誰《たれ》か明日、死の来るを知らんや。かの死魔の大軍と戦うことなきを知らんや、かくの如《ごと》く熱心に、日夜に、たじろぐことなく、住するを、げに、聖者は、よき一夜[#「よき一夜」は太字]と説きたまえり」
とかく老人は、「昨日」を語りたがります。青年はえてして「明日」を語りたがります。しかし、もはや「昨日」は過ぎた「過去」ではありませんか。「明日」は未だ来らざる「未来」ではありませんか。老人も青年も、共にまさしく握っているものは、「今日」です。過去はいかに楽しくとも、結局、過去は過去です。未来はいかに甘くとも、所詮、未来は未来です。
一日暮らしのこと[#「一日暮らしのこと」は太字] かつて白隠禅師の師匠、正受老人は、私どもにこんなことばをのこしております。それは「一日|暮《ぐらし》」というのです。
「いかほどの苦しみにても、一日と思えば堪え易し。楽しみもまた一日と思えば、ふけることもあるまじ。親に孝行せぬも、長いと思う故なり。一日一日と思えば、理窟はあるまじ。一日一日とつもれば、百年も千年もつとめ易し。一生と思うからに大そうなり。一生とは長いことと思えども、後のことやら、知る人あるまじ。死を限りと思えば、一生にはたされ易し。一大事と申すは[#「一大事と申すは」に傍点]、今日[#「今日」に傍点]、只《ただ》今の心[#「今の心」に傍点]なり。それをおろそかにして、翌日あることなし。凡《すべ》ての人に遠きことを思え
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