、一応お話ししておきました。そしてそのとき私は、一くちに「空」といっても、その空は「般若の空」で、有《う》(存在)に対する無《む》(非存在)というような、そんな、単純[#「単純」に傍点]な空という意味ではない、ということをお話ししておきました。ところが、これについて古人はこういう貴《とうと》い言葉を残しています。
 智慧と慈悲[#「智慧と慈悲」は太字] 「色即[#(チ)]是[#(レ)]空と見れば、大智[#「大智」に傍点]を成《じょう》じ、空即[#(チ)]是[#(レ)]色と見れば、大悲を成ず」
 と、いっておりますが、これは非常に考えさせられる言葉です。というのは、いったいここにいう大智[#「大智」に傍点]とは、大きい智慧《ちえ》、すなわちほんとうの智慧のことです。次に大悲というのは大きい慈悲、すなわちほんとうの慈悲のことです。仏教では、その智慧も慈悲も、共に空という母胎から産まれてくるものだというのです。いったい世間のものは、みんな十人十色で、どれだけ大勢《おおぜい》の人が集まっていても、寸分たがわぬ、同じ人間は、一人もありません。「似たとはおろか瓜《うり》二つ」などといいますが、よく
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