と[#「まなこということ」は太字] 昔のある書物に、「人間の眼を、まなこ[#「まなこ」に傍点]というは、真ん中をとる義なり」といっておりますが、たしかに面白いことだと思います。一方だけを見て、他の一方を見ないのでは、「まなこ」とはいえないのです。物の表面だけをみて、その裏にかくれている、ほんとうの相《すがた》を見ないことを、「皮《ひ》相の見」と申しますが、それはいまだ、真に「まなこ」の「まなこ」たる所以《ゆえん》を知らざるものといわねばなりません。今日の社会には、物質だけで、お金だけで何もかも解決できるものだと考えて、お金を「守り本尊」としている人がずいぶん多いのです。お金がもの[#「もの」に傍点]をいう世の中だと信じている方がたくさんあります。だがお金がものいわぬ[#「ものいわぬ」に傍点]ことも世間には存外に多いのです。収入《みいり》の多寡によって、月給の多少によって、その人の人格までも、批判してもよいものでしょうか。人格は果たして金銭以下[#「金銭以下」に傍点]でしょうか。今日の多くの人たちは、各自《めいめい》、お金を使っているようで、その実、お金に使われている[#「お金に使われて
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