顕色といいます。要するに物質的存在はことごとく色であります。次に受と想と行と識とは、物質に対する精神、物にたいする[#「する」に傍点]心をいったものでありまして、今日の心理学上の語でいえば、感情[#「感情」に傍点]、知覚[#「知覚」に傍点]、意志[#「意志」に傍点]、意識[#「意識」に傍点]に当たりますから、つまりこれらは、形のない精神の作用《はたらき》を四つにわけたものです。しかもこの精神作用のうちで、識が中心ですから、これを心王といっています。これに対して他の受、想、行は、意識の上の作用《はたらき》ですから、これを心所といっています。いずれにしてもそれはわれらの主観的な精神作用を、四種に分類したものです。したがって五|蘊《うん》とは、要するに、形のあるものと、形のないもの、すなわち有形の物質[#「物質」に傍点]と、無形の精神[#「精神」に傍点]との集合《あつまり》を意味するもので、仏教的にいえば「色」と「心」、つまり色心の二法となるわけです。この場合、「法」とは存在という意味です。ゆえに物を中心として、世界の一切を説明せんとする唯物論も、心を中心として、世界のすべてを眺《なが》めん
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