》」とか「真言《しんごん》」とか「陀羅尼《だらに》」などというものは、いわゆる「一字に千理を含む[#「一字に千理を含む」は太字]」で、たった一字の中にさえ、実に無量無辺の深い意味が含まれているのですから、古来より梵語を強《し》いて翻訳せずして、陀羅尼は、陀羅尼のままに、真言は、真言のままに、呪は、呪のままによみ伝えてきたのです。すなわち陀羅尼にしても、呪にしても、真言にしても、それは神聖にして犯すべからざる仏の言葉であるのと、それにはきわめて深遠な意味が含まれているという所から、梵語の音を、そのままにこれを漢字に写すだけで、わざと翻訳しなかったわけです。したがって昔から、一般にこの般若の四句の呪文[#「四句の呪文」に傍点]は、何がなしに、ありがたい功徳があるというので、そのまま翻訳せずに、信じ且つ誦《とな》えていたのです。しかし人間というものは妙なもので、いえないものを、いってみよ、というのが人間の癖[#「人間の癖」は太字]です。とかく、見るな、というものほど、見たいものです。聞くな、といわれるほど、よけいに聞きたいものです。いや、するな[#「するな」に傍点]といえば、よけいにやってみ
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