、一代の仏教、この二句より他はなし。古池や蛙《かわず》とび込む水の音、この句に我が一風を興せしより、はじめて辞世なり。その後百千の句を吐くに、この意《こころ》ならざるはなし。ここをもって、句々辞世ならざるはなしと申し侍《はべ》るなりと」
ほんとうの遺言状[#「ほんとうの遺言状」は太字] まことに、昨日の発句は、きょうの辞世、今日の発句こそ、明日の辞世である。生涯《しょうがい》いいすてし句、ことごとくみな辞世であるといった芭蕉の心境こそ、私どもの学ぶべき多くのものがあります。こうなるともはや改めて「遺言状」を認《したた》めておく必要は少しもないわけです。
私どもは、とかく「明日あり」という、その心持にひかれて、つい「今日の一日」を空《むな》しく過ごすことがあります。いや、それが多いのです。「来年は来年はとて暮れにけり」とは、単なる俳人の感慨ではありません。少なくとも私どものもつ一日[#「一日」に傍点]こそ、永遠に戻り来《きた》らざる一日です。永遠の一日です。永遠なる今日です。「一|期《ご》一|会《え》」の信念に生くる人こそ、真に空に徹した人であります。
空に徹せよ[#「空に徹せよ」
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