の浅慮を後悔し、再び瓢水翁を訪れて一晩じゅう語り明かしたということです。まことに「浜までは海女も簑きる時雨かな」です。私はこの一句を口ずさむごとに、そこにいい知れぬ深い宗教味を感じるのです。俳句の道からいえば、古今の名吟とまではゆかないでしょうが、宗教的立場から見れば、きわめて宗教味ゆたかな含蓄のある名吟です。やがては濡れる海女さえも[#「やがては濡れる海女さえも」に傍点]、浜までは時雨を厭うて簑をきる[#「浜までは時雨を厭うて簑をきる」に傍点]、この海女の優にやさしい風情こそ[#「この海女の優にやさしい風情こそ」に傍点]、教えらるべき多くのものがあります[#「教えらるべき多くのものがあります」に傍点]。それはちょうど、ほんとうに人生をあきらめ悟った人たちが、うき世の中を見捨てずに、ながい目でもって、人生を熱愛してゆくその心持にも似ているのです。一切空だと悟ったところで、空《くう》はそのまま色《しき》に即《そく》した空であるかぎり、煩わしいから、厭になった、嫌《きら》いになった、つまらなくなったとて、うき世を見限ってよいものでしょうか。まことに「浜までは」です。けだし「浜までは」の覚悟
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