「他人を咎《とが》めんとする心を咎めよ」と清沢満之はいっています。そうした宗教的反省[#「宗教的反省」に傍点]こそ、私どもにいちばん大切な心構えだと思います。次に愛語とは、情のこもった、慈愛に充《み》ちた言葉づかいです。荒々しい棘《とげ》のある言葉づかいでは、相手の反感をそそるだけです。全く、丸い玉子も切りようで四角[#「丸い玉子も切りようで四角」は太字]にも三角にもなるごとく、ものもいいようで角《かど》がたつのです。あえて外交的辞令を用いよとは申しませぬが、お互いに言葉づかいに気をつけねばなりません。言葉の使いようで、成り立つことも成り立たぬ場合が往々あるのですから、もちろん、顔つきや、言葉づかいは、人格の自然の発露で、肝腎《かんじん》の人格の修養を度外視して、それだけを注意すればよいというのではありません。しかしとにかく和顔《わげん》と愛語の二つは、我人《われひと》ともに十分に、心懸《こころが》けねばならないと存じます。とくに婦人の方には、この点を十分に反省してほしいと思います。どれだけ顔が綺麗《きれい》でも、この二つのものが欠けていたらゼロです。無愛想だとか、無愛嬌《ぶあいきょう
前へ 次へ
全262ページ中179ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
高神 覚昇 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング