う》を多くとり、賃銀をたくさんとるような、いわゆる甲斐性《かいしょう》のある、偉い人を作るのが目的ではないのです。自ら勇敢に、ほんとうの人間の道を歩むとともに、他人をもまたその道を、歩ませたいとの熱情に燃える人です。いわゆる「人となれ[#「なれ」に傍点]人」「人となせ[#「なせ」に傍点]人」です。だからそれは大乗的です。自分一人だけ行くのではない。「いっしょに行こうじゃないか」と、手をとり合って行くのですから、小乗の立場とは、たいへんその趣を異にしています。したがって、菩薩とは、心の大きい人です。度量の大きい人です。小さい利己的立場を止揚して、つねに大きい社会を省みて社会人として活動する人こそ、ほんとうの菩薩です。「衆生の疾《やま》いは、煩悩《まよい》より生じ、菩薩の|疾[#「菩薩の|疾」は太字]《やま》い[#「い」は太字]は、大悲より発《おこ》る」と『維摩経《ゆいまぎょう》』に書いてありますが、そうした「大悲の疾い」をもっているのが、とりも直さず菩薩です。利己的な煩悩《ぼんのう》の疾いと、利他的な大悲の疾い、そこにある人間[#「ある人間」に傍点]と、あるべき人間[#「あるべき人間」に
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