」に傍点]に入って、何がなんだか、さっぱりわからなくなってしまうことでしょう。しかし、ここに、かえってまたいうにいわれぬ妙味がある[#「いうにいわれぬ妙味がある」に傍点]のです。いったい仏教の理想は、「迷いを転じて悟り開く」ことです。煩悩《ぼんのう》を断じて菩提《ぼだい》を得ることです。つまり凡夫《ひと》が仏陀《ほとけ》になることです。にもかかわらず、迷いもない、悟りもない、煩悩もなければ、菩提もない。ということは、「いったいどんな理由《わけ》だ」という「疑問」が必ず湧いてくると思います。だが、ここでとくとお考えを願いたいことは、万物は因縁[#「因縁」に傍点]より生じたものだということです。そして「因縁生」のものである限り、皆ことごとく相対的[#「相対的」に傍点]なものだということです。
病があればこそ、薬の必要があるのです。病あっての薬[#「病あっての薬」は太字]です。病にはいろいろ区別があるから、薬にもまたいろいろの薬があるわけです。だが、病が癒《なお》れば、薬も自然いらなくなるのです。風邪《かぜ》を引いた時には、風邪薬の必要があります。しかし、いったん、風邪が癒れば、いつまでも
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