ってはならないのです。正しからざる方法によって、ザイスの巨像を見んとした、あの若者であってはならないのです。私どもは、どこまでも、真理への道を辿《たど》る、敬虔《けいけん》な求道者でなくてはなりません。しかも、真面目《まじめ》に、真理を思慕し、探究するものによってのみ、真理ははじめて把握《はあく》し得られるのです。
 道理と智慧[#「道理と智慧」は太字] 話がつい横道へ外《そ》れましたが、般若の智慧を、仏教では、実相と観照との二つの方面から説明しております。実相とは真理の客体で、観照とは真理の主体です。何人も認めねばならぬ、ものの道理と、それに合致する智慧が、つまりこの実相と観照との二種の般若です。そして、その般若の道理と智慧とを、文字によって示したものが、すなわち文字般若《もじはんにゃ》です。いずれにしても、これからお話し申し上げようとする『心経』は、要するに永遠に古くしてしかも永遠に新しい般若の真理を、雄弁に且つ力強く主張しているお経なのです。いつ、どこでも、何人も、必ずそう信ぜねばならぬ、不朽の真理を、きわめて直截《ちょくせつ》簡明に説いているのが、この『心経』です。般若の哲学[
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