ましたが、果たしてそれは正当な認識でしょうか。それから、いったいマルクスのいう現実の苦というのは、無産者だけの苦です。プロレタリヤだけの生活苦です。したがってそれは人間全体の苦ではありません。すなわち釈尊が四苦八苦といわれた、その苦諦《くたい》の苦ではないのです。少なくとも人間苦[#「人間苦」に傍点]といい、社会苦といわれる苦には、資本家だとか、無産者だとかいうような区別はありません。四苦八苦は、人間としての苦しみです[#「人間としての苦しみです」に傍点]。社会的存在としての人間の普遍的な、そして共通の苦しみです。ですから、マルクスのいう苦は、どこまでも経済生活の上の悩み[#「経済生活の上の悩み」に傍点]ですから、四苦八苦のホンの一部分でしかありません。強《し》いていえば「求めて得られざる苦しみ」(求不得苦《ぐふとくく》)でしかありません。
むずかしいめんどうな議論はさし控えましょう。しかし、もう一言ここでいわしていただきたいのは、苦の原因についての問題です。いったいマルクスは、人間苦、いやプロレタリヤの生活苦の原因をば、あくまで社会機構の欠陥に求めました。資本主義制度の矛盾におきま
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