は「諦観《たいかん》」することで、つまり、もののほんとうの相《すがた》を見ること、すなわち真実を見きわめることです。したがって、釈尊があきらめた世界、ハッキリ人生を見きわめた世界を、説いたのがすなわち仏教です。しかもその仏教の根本は、結局、この四諦、すなわち四つのあきらめ[#「あきらめ」に傍点]、すなわち四つの真理にあるのです。しからばその四つの真理とは何か、といえば、それは、「苦」と「集」と「滅」と「道」の四つで、これを四諦といっています。わかりやすくこれをいえば、「人生は苦なり」ということと、その苦はどこからくるかという、「その苦の原因」と、「その苦を解脱した世界」と、「その苦を除く方法」を教えたのが、すなわち「四諦」の真理です。で、「苦、集、滅、道もなし」という『心経』のこの一節は、このまえ「十二因縁」の下で、お話ししたごとく、空の立場からいえば、四諦の真理もないというのです。「一切皆空」の道理からいえば、迷と悟との因果を説いた、この四諦の法もないわけです。さてまず、「苦諦」ということから考えてゆきましょう。いったい「人生は苦だ[#「人生は苦だ」は太字]」とか、「うきよは苦悩《な
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