。理窟《りくつ》からいえば、母胎を出でた瞬間から、もはや墓場への第一歩[#「第一歩」に傍点]をふみ出しているのです。だから応《まさ》に生に啼いて、死を怖るること勿れです。死ぬことが嫌《いや》だったら、生まれてこねばよいのです。しかしです。それはあくまで悟りきった世界です[#「悟りきった世界です」に傍点]。ゆめと思えばなんでもないが、そこが凡夫で、というように、人間の気持の上からいえば、たとい理窟はどうだろうとも、事実[#「事実」に傍点]は、ほんとうは、生は嬉《うれ》しく、死は悲しいものです。「|骸骨[#「骸骨」は太字]《がいこつ》の上を|粧[#「の上を|粧」は太字]《よそ》うて花見かな[#「うて花見かな」は太字]」(鬼貫)とはいうものの、花見に化粧して行く娘の姿は美しいものです。骸骨のお化けだ、何が美しかろうというのは僻目《ひがめ》です。生も嬉しくない、死も悲しくない、というのはみんな嘘《うそ》です。生は嬉しくてよいのです。死は悲しんでよいのです。「生死《しょうじ》一|如《にょ》」と悟った人でも、やっぱり生は嬉しく、死は悲しいのです。それでよいのです。ほんとうにそれでよいのです。問題は
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