そこに宗教の眼目があるのです。けだし「仏法|遥《はるか》にあらず」です。「心中にして即《すなわ》ち近し」です。「真如《しんにょ》外《ほか》に非《あら》ず」です。「身を捨て何処《いずこ》にか求めん」です。少なくとも、私ども人間の生活を無視して、どこに宗教がありましょうか。「なにゆえに宗教が必要なのだ」という質問は、つまりなにゆえに、「われらは生きねばならぬか[#「われらは生きねばならぬか」は太字]」という質問と同一です。宗教の必要を認めない人は、人間として生きる権利を抛棄《ほうき》した人です。人間としての、尊き矜持《ほこり》は「生きる」ということを、考えるところにあるのです。しかも、一度でも「いかに生くべきか」ということを、真剣に考えたとき、それはもはやすでに「宗教の世界」にタッチしているのです。宗教に入っているのです。いや、宗教を離れては、どうしても「生きる」ということのほんとうの意味を、把《つか》むことはできないのです。
 惑と業と苦の連鎖[#「惑と業と苦の連鎖」は太字] 話がつい横道にそれました。さてこの十二因縁ということですが、これについては、昔からいろいろとめんどうな、むずかし
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