ように、「この頃は毎朝、お宅の先生のラジオ放送で、空《くう》だの、無だのというような話を聞かされているので、損をした日でも、今までと違ってあんまり苦にしなくなりました」といって笑っていたということですが、たとい、空のもつ、ふかい味わいが把《つか》めなくても、せめて「裸にて生まれて来たになに不足」といったような、裸一貫の自分をときおり味わってみることも、また必要かとおもうのであります。その昔幕末のころ、盛んに廃仏棄釈《はいぶつきしゃく》をやった水戸の殿様に、ある禅寺の和尚《おしょう》さんが、
「君は僅《わず》かに是《こ》れ三十五万石、我れは是れ即《すなわ》ち三界|無庵《むあん》の人」
といったという話がありますが、あなたはたった三十五万石[#「たった三十五万石」は太字]だ、私は「三界無庵の人」だといった、その心持には味わうべき貴いものがあるかと存じます。おもうに三界無庵[#「無庵」に傍点]の人こそ、その実、いたるところに家をもつ三界有庵[#「三界有庵」に傍点]の人です。「無一物中無尽蔵」です。そこには、花もあれば、月もあります。私どもは、般若の「空」がもっているほんとうのもち味をかみし
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