通り、この真言の意味を解釈しましたが、要するに『心経』の最後にある、この「掲諦掲諦」の四句の真言は、こういう風に解釈すればよいかと思います。
「自分も悟りの彼岸へ行った。人もまた悟りの彼岸へ行かしめた。普《あまね》く一切の人々をみな行かしめ終わった。かくてわが覚《さとり》の道は成就された」
 すなわち一言にしてこれをいえば、「自覚、覚他、覚行円満」ということです。すなわち「自ら覚《さと》り、他を覚《さと》らしめ、覚《さとり》の行《ぎょう》が完成した」ということで、それはつまり仏道の完成であります。しかもその仏道の完成こそ、まさしく人間道の完成[#「人間道の完成」に傍点]であります。したがってこの四句の呪文は、単に『心経』一部の骨目《こつもく》、真髄《しんずい》であるのみならず、実に、八万四千の法門、五千七百余巻の、一切の経典の真髄であり、本質であるわけです。換言すれば、大小、顕密、聖道浄土《しょうどうじょうど》、仏教の一切の宗旨の教義、信条は、皆ことごとくこの四句の真言の中に含まれているのです。で、つまり、この真言の意味をば、いろいろの角度から、いろいろの立場から、機に応じ、時に臨みて、これを説き示したのが、今日の日本の仏教、すなわち十三宗五十八派の建前であるわけです。というのは、いうまでもなく大乗仏教の精神[#「大乗仏教の精神」は太字]は、われらと衆生と皆共に仏道を成《じょう》ぜんということです。同じく菩提心を発《おこ》して浄土へ往生することです。したがって、それは決して自己独りの往生[#「自己独りの往生」に傍点]ではないのです。あくまで皆共[#「皆共」に傍点]にです。同じく菩提心[#「同じく菩提心」に傍点]を発《おこ》すことです。私どもは、この真言の意味を理解することによって、はじめていっそう明瞭に『心経』が、どんな貴い経典であるか、いや、大乗仏教の眼目はどこにあるかを、ハッキリ知ることができるのです。あの弘法大師が、
「真言は不思議なり[#「真言は不思議なり」は太字]。観誦《かんじゅ》すれば無明《むみょう》を除く。一字に千理を含み、即身に法如《ほうにょ》を証す」
 といわれたのはそれです。般若の真言こそ、まことに不思議です。これを誦《とな》えただけでも無明の煩悩《まよい》をとり除いて、悟《さと》りを開くことができるのです。「即身《そくしん》に法如《ほうにょ》を
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