仏陀《ほとけ》のことを「医王」と申しておりますが、「満天下の|医師[#「満天下の|医師」は太字]《せんせい》たちよ[#「たちよ」は太字]。すみやかに|医王[#「すみやかに|医王」は太字]《ほとけ》となれ[#「となれ」は太字]!」と、私は叫びたい衝動に駆られています。
心の病気の治療法[#「心の病気の治療法」は太字] さて病気をなおす[#「なおす」に傍点]には、医者[#「医者」に傍点]と薬[#「薬」に傍点]と養生[#「養生」に傍点]の三つが、大切だといわれていますが、心の病気を治療するにも、やはりこの三つが必要です。医者とはりっぱな人格者です。教育家や宗教家は、ぜひとも、この「人格《ひとがら》」を、目的《めあて》とせねばなりません。次に薬とは信仰です。養生とは修養です。「病は気から」ともいうように、私どもは健康《たっしゃ》な精神《こころ》によって、身体の病気を克服してゆかねばなりません。だから、医者と薬と養生の三つのなかで、いちばん必要なものは養生です。養生といえば、この養生と関聯《かんれん》して想《おも》い起こすことは、あの化粧ということです。化粧とは「化ける粧《よそお》い」ですが、婦人の方なんか、化粧せぬ前と後とでは、スッカリ見違えるように変わります。お婆《ばあ》さんになってもそうですが、若い娘さんなんか特に目立ちます。しかしおなじ紅白粉《べにおしろい》をつかっても、上手《じょうず》と下手《へた》とでは、たいへん違います。あまり濃く紅をつけたり、顔一面に厚く白粉を塗ったがために、せっかくの素地《きじ》がかくれて、まるでお化けのように見えることがあります。自分の肌《はだ》の素地や、色艶《いろつや》を省みずに、化粧してはキット失敗すると思います。しかし私はなにも美容の先生ではありませんから、専門のことはわかりませんが、素人《しろうと》目にもわかるのは、「厚化粧の悲哀[#「厚化粧の悲哀」は太字]」です。「妾《わたし》は化粧しておりますよ、みてください」とばかりに塗っているのは、おそらく化粧の上手とはいえないでしょう。化粧しているのやら、していないのやら、ちょっとわからないのが、いわゆる「化粧の|秘訣[#「化粧の|秘訣」は太字]《ひけつ》」かと存じます。もちろんこうしたことは、それこそ「よけいなお世話」で、男子の私よりも婦人の方が、くわしいことですが、しかし「他山の石、
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