直接に果が生ずるがごとく考えて、因縁和合の上の結果であることに気づかないのである。しかもこれがあらゆる「迷い」の根源となっているのである。すなわち凡夫の迷いとは、つまり因縁の理を如実にさとらないところにある。別言すれば、因縁の真理を知らざることが「迷い」であり、因縁の道理を明らめることが「悟り」であるといっていい。
 おもうに今日、一部のめざめたる人を除き、国民大衆のほとんどすべては、いまだに虚脱と混迷の間をさまようて、あらゆる方面において、ほんとうに再出発をしていない。色即是空と見直して、空即是色と出直していない。所詮、新しい日本の建設にあたって、最もたいせつなことは、「空」観の認識と、その実践だと私は思う。このたび拙著『般若心経講義』を世に贈るゆえんも、まさしくここにあるのである。この書が、新日本文化の建設について、なんらか貢献するところあらば、著者としてはこの上もないよろこびである。
  昭和二十二年春
[#地から6字上げ]東京 鷺宮 無窓塾
[#地から2字上げ]高神覚昇
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第一講 真理《まこと》の智慧
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般若波羅蜜多心経
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(一切智に帰命し奉る)
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 心経の名前[#「心経の名前」は太字] ここに『般若心経《はんにゃしんぎょう》』の講義をするに当りまして、最初にはしがきとして、『心経』の経題《なまえ》すなわち『般若心経』という名前について、お話ししておきたいと思います。さてこの『般若心経』は、普通には単に、『心経』と申しておりますが、詳しくいえば、『般若波羅蜜多心経《はんにゃはらみたしんぎょう》』というのであります。いったい、一口にお経と申しましても、昔から八万四千の法門といわれるくらいで、仏教の聖典の中には、ずいぶんたくさんのお経があります。しかしその数あるお経の中で、この『心経』ほど、首尾の一貫した、まとまった、しかも簡単なお経[#「簡単なお経」は太字]は他にないのであります。『心経』は全部で、その字数はたった二百六十字しかありません。もっとも、私どもが日ごろ読誦《どくじゅ》しております『心経』には、「一切」という文字がありますから、結局二百六十二字となりますが、すでに弘法大師も、
「文《もん》は一紙に欠け、行《ぎょう》
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