よ》らぬ中正の道です。
「涅槃へ行くには二つの偏《かたよ》った道を避けねばならぬ。その一つは快楽に耽溺《たんでき》する道であり、他の一つは苦行に没頭する道である。この苦楽の二辺を離れた中道[#「二辺を離れた中道」は太字]こそ、実に涅槃へ至る正しい道である」(転法輪経《てんぽうりんぎょう》[#「転法輪経」は底本では「輪法輪経」])
と、釈尊はいっておられますが、たしかに苦楽の二辺を離れた中道こそ、涅槃《さとり》へ達する唯一の道なのです。一筋の白道なのです。しかもその一本の白道を、歩んで行くには八通りの方法があるのです。八|正道《しょうどう》とはそれです。
正しき見方[#「正しき見方」は太字] ところでこの正道のなかで、いちばん大切なものは「正見《しょうけん》」です。正見とは、正しき見方です。何を正しく見るか、四|諦《たい》の真理を知ることですが、つまりは、仏教の根本原理である「因縁」の道理をハッキリ認識することです。この「因縁」の真理をほんとうに知れば、それこそもう安心です。どんな道を通って行っても大丈夫です。だが、ただ知ったというだけで、その「因縁」を行《ぎょう》じなければ効果《ききめ》はありません。因縁[#「因縁」に傍点]を行ずるとは、因縁[#「因縁」に傍点]を生かしてゆくことです。「さとりへの道は自覚と努力なり、これより外に妙法なし」といいますが、因縁を知り、さらにこれを生かしてゆくには努力が必要です。発明王エジソンも、「人生は努力なり」といっていますが、たしかに人生は努力です。不断の努力が肝要です。しかもその努力こそ、精進《しょうじん》です。正精進《しょうしょうじん》というのはそれです。正精進[#「正精進」に傍点]こそ、正しき生き方[#「正しき生き方」は太字]です。ゆえに八正道の八つの道は、いずれも涅槃《ねはん》へ至る必要な道ではありますが、そのなかでもいちばん大事なのは、つまりこの「正見」と「正精進」です。
「道は多い、されど汝《なんじ》の歩むべき道は一つだ」
と、古人も教えています。私どもはお互いにその一つの道を因縁に随順しつつ無我[#「無我」に傍点]に生きることによって、真面目《まじめ》に、真剣に、正しく、明るく、後悔のないように、今日の一日を歩いてゆきたいものです。
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第八講 執著《とらわれ》なきこころ
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