り、いつ[#「いつ」に傍点]、どこでも[#「どこでも」に傍点]、何人も[#「何人も」に傍点]、きっと[#「きっと」に傍点]、そう考えねばならぬもの[#「そう考えねばならぬもの」に傍点]、それが真理です。
むずかしくいえば、普遍妥当性《ふへんだとうせい》と思惟《しい》必然性とをもったものが真理です。時の古今、洋の東西を問わず、いつの世、いずれの処《ところ》にも適応するもの、誰《だれ》しもそうだと認めねばならぬものが真理です。古今に通じて謬《あやま》らず、中外に施して悖《もと》らざる、ものの道理、それが、とりも直さず真理です。西洋の諺《ことわざ》に、「真理は時代の娘[#「真理は時代の娘」は太字]」という言葉がありますが、真理こそ、永遠の若さをもったものです。真理はまさしくいつの時代にも若鮎《わかあゆ》のように溌剌《はつらつ》とした若々しい綺麗《きれい》な娘です。創造し、活動して、止《や》まぬもの、それが真理です。けだし、永遠に古くして、かつ永遠に新しいもの、それが真理です。いや、永遠に古いものにして、はじめて永遠に新しいものだ、ということができるのです。真理といえば、真理についてこんな話があります。それはたしか、シルレルの書いたものだと思いますが、「蔽《おお》われたザイスの像」という話です。
真理への思慕[#「真理への思慕」は太字] その昔、知識に餓《う》えた一人の青年がありました。彼は真理の智慧を求むべく、エジプトのザイスという所へ行きました。そしてそこで、彼は、一所懸命に真理の智慧を探《さが》し求めたのでした。しかし、求める真理の智慧は容易に索《もと》め得られませんでした。ところが、ある日のこと、彼は師匠と二人で、静かな、ある秘密の部屋の中に坐《すわ》ったのでした。そこは白い紗《しゃ》に蔽われた、一個の巨像が、森厳《しんごん》そのもののように立っていたのです。その時、青年は突然、師匠に対《むか》って、この巨像が何者であるかを尋ねました。
「真理!」
それが師匠の答えでした。これを聞いた青年は、おどろき、かつ喜びました。そして、思わず、
「つね日ごろ、自分が尋ね索めている真理は、ここに隠されていたのか」
と叫びました。
その時、師匠は厳《おごそ》かに青年にいいました。
「神自らが、この蔽いを、脱《ぬ》がせ給うまでは、決して、人間の浄《きよ》からぬ罪の手で、取
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