跡をつけられるんで、自然足も遠くなつたが、十年前までは、本因坊がメリンスの腰巻き、私が麻の股引をはいて、随分弥次喜多旅行に出かけたものだ。茨城、千葉、栃木、群馬、の近県は勿論のこと、九州、越後、奥州、までのして歩いたよ。
 羽織、袴の姿をしてゐれば、そんなこともないのだらうが、麦藁帽子に洋傘ついて二人とも余り目つきがよくないからネ。大抵の知らない宿屋へ行つては、ヂロリと一ぺん見られて、体よくお断りを喰つたもんだ。
 しまひにはこつちも馴れつこになつてしまつて、知らない土地に行くと、宵の中は料理屋で呑み、更けてから土地/\の遊郭にくりこんだものだ。私も若い頃はよく呑んだからネ。
 本因坊から直接聴いたんだから間違ひはなからう。本因坊のまだ若い頃、とほし碁を頼まれた。通し碁と言ふのは、二人が打つてゐる蔭にゐて、急処に来ると「かう打て!」とそつと知らせてやる奴さ。
 その時は二階から通す仕組になつてゐたと言ふが、本因坊はチビリチビリやり乍ら天井の格子の間からでも、下の碁を窺つてゐたんだらう。昔はよくそんな造作の家があつたもんだ。
 その中に酔がまはつてかいゝ気持になつて、一升樽を枕にうとうと
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