取りかこまれて芝居の切符なんかやつてるところだが、目がさめてさすがに寂しかつた。襟許が寒かつたよ。
随分二人で遊んだからな。会計はかはり番古にやることにしてゐたが、本因坊は地味だらう、私が芸者を八人も九人も呼ぶとそはそはして便所にばかり立つてゐるんだ。それで、
「本因坊さん、この口は私がもつよ」
と言ふと落着くんだ。
若い頃は、二人して新宿にも吉原にも遊びによく行つた。木村義雄は吉原の朝帰りの拾ひものなんだ。
その時も本因坊と二人で、浅草の草津温泉の近くの伊藤作次郎といふ人のやつてる将棋会所の前を通ると、
「先生! 寄つてつて下さい」
と無理に引つぱり込れて、坐敷に上つてみると小さな可愛いゝ子供が一生懸命指してるんだ。見てゐると本因坊が
「なかなか筋がよさゝうぢやないか!」
と言ふんだ。私もさつきから内心感心してゐたんで、
「坊や、俺が一番指してやらう」
と六枚落かで、五番ほど指してやつた。これがいまの木村名人さ。矢張畑は違つても本因坊の目のつけ処はたしかなもんだ。
吉原からの朝帰りの拾ひものとしては、大物を拾つたものさ。
近頃は二人で出かけると、方々の新聞社なぞで跡をつけられるんで、自然足も遠くなつたが、十年前までは、本因坊がメリンスの腰巻き、私が麻の股引をはいて、随分弥次喜多旅行に出かけたものだ。茨城、千葉、栃木、群馬、の近県は勿論のこと、九州、越後、奥州、までのして歩いたよ。
羽織、袴の姿をしてゐれば、そんなこともないのだらうが、麦藁帽子に洋傘ついて二人とも余り目つきがよくないからネ。大抵の知らない宿屋へ行つては、ヂロリと一ぺん見られて、体よくお断りを喰つたもんだ。
しまひにはこつちも馴れつこになつてしまつて、知らない土地に行くと、宵の中は料理屋で呑み、更けてから土地/\の遊郭にくりこんだものだ。私も若い頃はよく呑んだからネ。
本因坊から直接聴いたんだから間違ひはなからう。本因坊のまだ若い頃、とほし碁を頼まれた。通し碁と言ふのは、二人が打つてゐる蔭にゐて、急処に来ると「かう打て!」とそつと知らせてやる奴さ。
その時は二階から通す仕組になつてゐたと言ふが、本因坊はチビリチビリやり乍ら天井の格子の間からでも、下の碁を窺つてゐたんだらう。昔はよくそんな造作の家があつたもんだ。
その中に酔がまはつてかいゝ気持になつて、一升樽を枕にうとうとしてしまつた。下では対局が佳境に入つて、肝腎の急処で二階にゐる筈の参謀にいくら合図をしても一向に通して来ない。不思議に思つて二階を見ると、本因坊の足が格子の間から、ぶらんとぶら垂つてゐた。
これとよく似た話が、私にもあるよ。通し碁、通し将棋、なぞは昔はざらだつたからネ。
秩父の大宮に玉金と言ふ親分がゐた。昔は将棋遊歴をしてあるくのに、よくその土地の顔役の許を手頼つていつたもんだ。あゝ言ふ人たちは手頼つていくとよく世話をして呉れるからネ。私は清水の次郎長親分の許を尋ねていつたことがあるよ。子分達と将棋を指してぶらぶらしてゐた。
玉金親分は太ツ腹の面白い人達だつた。将棋が好きなんだが、下手の横好きと言ふ方でネ、土地の高利貸しに宇野さんといふ人がゐた。この宇野さんの将棋はがつちりしてゐた、どうしても玉金親分は勝てないんだ。
ある時私が訪ねていくと、どうしても宇野さんをやツけてやるんだから、通し将棋をして呉れと言ふんだ。こつちはまだ若いし、面白半分に、
「ようがす、一ツやツけませう」
と言ふ訳になり、しめし合せて土地の料理屋に乗り込んだ。
その仕組かえ、玉金親分と宇野さんが対局してゐると、親分の妻が宇野さんの背後にぴたりと坐つて、つまり親分と向ひ合ひさ。
私は親分の横の坐敷の障子に穴をあけてそこから一生懸命覗いてゐる。そして将棋が難しくなつて親分が考え込むと、ツケギツパ、ほら昔マツチのかはりに使つたあれさ、あれに五六歩なり五八飛なりと書いて女中に渡すんだ。
すると女中がまた妻君に手渡すと、妻君は宇野さんの背後に大丸髷の脇にそのツケギをひよいと出すんだ。この方法はようやつたもんで、俗にツケギと私達仲間では言つてゐた。普通なら気が付くんだらうが、対局中は誰れでも熱くなつてゐるから案外気が付かないんだネ。
もつとも女中が一人では判つてしまふので二三人そばに置きかはり番に坐を立たせたもんだが、おかしかつたのはその時私が風邪をひいてゐた。で、咳が出て仕方がないんだが、私が咳をすると相手にあやしまれてしまう。
黒飴をもらつてそれを舐めてゐたが、そんな時に限つて余計に咳が出るもんで、我慢出来ずに私が咳をすると、妻君や女中達が、相手に気付れない様に、後からゴホンゴホン、やるんだ。すると宇野さんは駒を握り乍ら、
「大分風邪が流行つてゐるな」
とすましてゐる。おかしくても
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