それがまた芝兼さんのつけ込みどころで、大抵の相手は手数将棋で戦《たゝかひ》を挑んだが最後、コロリコロリとまかされてしまふのである。
とにかく、五十手なら五十手と約束する。そのあひだに芝兼さんを詰ましてしまはなければならないのであるが、こちらばかり指してゐるわけではなく、相手も一手に対して一手だけはさしてくるのだから、駒をつつかけて来られればその相手をしてとらねばならなかつたり、また王手をかけられれば体をかはさなければならなかつたりして、十手やそこら無駄されてしまふのは訳はないのである。しかも、芝兼さんは自分の陣営を堅固に守つては、さういふチヨツカイを出してくるのだから、始末にわるい。
いまの寺田梅吉六段のお父さんの、寺田浅次郎五段もなかなかこの手数将棋の名手であつたが、この手数将棋といふものは見てゐてもなかなかおもしろく、攻める方が五十手なら五十、六十手なら六十といつた具合に、最初に約束しておいただけの手数の数の碁石をもつてゐて、攻める方で一手させば、守る方では、「はい、一つ。」と、その碁石を一つづつもらつて行くのである。
攻める方は、せつかちな人ほどいけない。うつかりして一手さ
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