塚さんが駒台を発案するまでは、高段者は半紙を四つに折つてその上に駒を置いてゐたものなのである。ところが、最初飯塚さんはお雛様にいろんなお供へものをするあの飾台《かざりだい》からヒントを得て、さういふものがあつたならば、手でとるのにも便利だし、眼で見るのにもハツキリするといふところから、工夫に工夫をこらして、現在用ひられてゐるやうな形式にまで発展させ完成させたのであつた。
 出来た当時は、三十銭か四十銭の極《ご》く簡単なものであつたが、今日では非常に凝つたものが出来るやうになり、値も張つて二十円や三十円といふ高いものさへあるくらゐである。――とにかく、将棋もしまひには素人《しらうと》八段といふところまで進み、将棋界として忘れてはならない恩人であつた。
 単に駒の台といふことだけではなく、晩年にはわたしたちと組んで、京橋の槙町《まきちやう》に帝国将棋所なるものをつくり、金を出してくれたり、また骨も折つてくれた。しかし、この当時はまだ新聞社でも将棋に力を入れてくれぬ時代であつたから、大した反響はなかつたが、しかし、内容はなかなか立派なもので、今日の大成会《たいせいくわい》のやうなものであつた
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