る。(をかしいな?)と思つて、主人に小松さんのことをきいてみると、なんのことはない、小松さんは御褒美をもらつたどころか、却《かへ》つて御褒美を出させられてかへつたといふのである。で、その口惜しまぎれに、仇《かたき》を討たせようと思つたのか、嘘をついてあたしを差し向けたのであつた。
さらにあとでよくきくと、強いのも道理、この飯塚さんは(川崎小僧)といはれた名手であつた。(小僧)といふのは、その地方においてならぶものなき力を持つたものの別称である。たとへば、現在の名誉名人|小菅《こすげ》剣之助さんは名古屋の笠寺《かさでら》の生れだから、(笠寺小僧)と呼ばれ、本所に住んでゐた相川|次三吉《じさきち》さんは(本所小僧)と呼ばれ、わたしはまた(宝珠花《はうしゆばな》小僧)といはれてゐたやうなものであつた。
その後、わたしは半香《はんきやう》などでさしたりしたが、なかなか強かつた。この飯塚力造さんが将棋さしの本職になつたらずゐぶん強くなつただらう。
――いまからざつと三四十年のむかしのことである。
ところで、現在つかはれてゐるやうな将棋の駒台を発明したのは、実はこの飯塚さんであつた。
飯
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