のである。
 この飯塚さんは頭の禿げた肥《ふと》つた人であつたが、義太夫がなかなか得意で、またうまく、方々でほめられるものだから、自分でもウカウカとその評判にのつてしまつて、十年ほど前に、高座の上で義太夫を語りながらひつくりかへつて、それがもとで四五年経つてから死んでしまつた。あまり義太夫をやりすぎたのである。つまり、得意が身を殺してしまつたのである。いくら得意でもホドホドにしなければならぬといふ生きた例を茲《こゝ》に見ることが出来る。
 まことに惜しいことをした。自分も大事な話し相手をなくしてしまつたし、人間寿命がくれば仕方がないとしても、あの帝国将棋所に力をそそいでくれた飯塚さんが今日《こんにち》の大成会を見ずに逝つてしまつたことは、どう考へても残念である。



底本:「日本の名随筆 別巻8 将棋」作品社
   1991(平成3)年10月25日第1刷発行
底本の親本:「棋道半世紀」博文館
   1940(昭和15)年2月
入力:土屋隆
校正:門田裕志
2006年3月20日作成
青空文庫作成ファイル:
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