り取れば、その下に必ず「やつか」の石群《いしむれ》があるのである。円の面が定まれば、その円周に沿うて竹簀が下ろされる。魚の逃げ去るのを防ぐのである。斯様にしてから、湖底に積まれた石は、「まんのんが」(万能鍬?)と称する柄の長い四つ歯の鍬によつて、一つづつ氷の上へ掬《すく》ひ出されるのである。掬ひ出された石は、濡れるといふよりも凍つてゐるといふ方が適当である。水面を離れる石が氷上に置かれる頃は、もうからからに凍つてゐるからである。凍つた石が、終りに黒山を成して氷の上に積み上げられる頃は、「やつか」の底には青藻と共に揺れ動いてゐる魚族がある。日が射せば水底に簇《むらが》り光る魚の腹が見える。魚族は逃げ場を失つて竹簀に突き当る。竹簀には、所々、魚を捕へるための牢屋(うけ[#「うけ」に傍点]ともいふ)といふものが備え付けられてある。これは、一旦これに入つた魚の二度と外へ出られぬやうに備へられた竹籠であつて、魚族は終りに、多くこの牢屋の中へ入つてしまふのである。朝早くから氷上に立つて、牢屋の中へ魚が納るまでには、短い冬の日が一ぱいに用ひられるのであつて、竹簀をあげて魚を魚籃《びく》の中へ捕り入れる頃は、日はもう湖の向ひの山へ傾いてゐるのである。湖面を吹く風は、障るものなき氷上を一押しに押して来る。「まんのんが」を持つ手は時々感覚を失はんとするまでに凍える。その時には、携へた火鍋《ひなべ》(鍋の手を長くして附けたものである)の中で、用意の榾木《ほたぎ》を焚くのである。或は又、氷の上で直接に藁火を焚くことがある。氷の上で焚火をして、その氷が解けてしまぬ程に、氷が厚いのである。大凡《おおよそ》周囲四里半の氷上にあつて、漁人の生活は、全く世の中との交渉を杜絶する。只日に一度、弁当を提げて漁場へ運んで来る妻女の姿が氷上に現れる。氷を滑り鴨を追つて遊ぶ子どもの群れが、漁猟の多寡《たか》を見るために、ここの「やつか」へ立ち寄ることもある。さういふことが、単調な漁人の生活に僅少の色彩を与へる。「たたき」で捕つた魚も、「やつか」で捕つた漁も、所謂《いわゆる》氷魚《ひお》であつて、膏《あぶら》が乗り肉が締まつて甚だ佳味である。併《しか》し、その佳味は、これら漁人の口に上ることは稀であつて、多く、隣の町へ運ばれて、多少の金と換へられるのである。
氷切りの作業は、快晴の夜を択んで行はれる。温度が低下して氷の硬度が増すからである。これは若者でなくては到底堪へられぬ労作である。若者は、宵の口から、藁製の雪沓《ゆきぐつ》を穿《は》き、その下にかつちき[#「かつちき」に傍点](※[#「木+累」、第3水準1−86−7]《かんじき》の義)を著けて湖上へ出かける。綿入を何枚も重ねた上に厚い袢纏《はんてん》を纏ふのであるから、体は所謂着ぶくれになる。横も竪も同じに見えるといふ姿である。斯様な扮装をした若者が氷の上に一列に並んで、氷を鋸引きに引きはじめるのである。氷を引く手元は、初め暗くて後に明るい。氷に眼が馴れるのである。三尺四方程の大さに引き離される氷の各片が、切り離されると共に水中に陥る。それが氷鋏と称する大きな鋏で挟み上げられる。挟みあげられたあとの水には星が映つて揺《ゆす》れてゐる。大凡一望平坦の氷原にあつて、空は手の届くやうな低さを感ずる。星が降る如く光り満ちてゐるのである。星の光は、水にあつて水の明りとなり、氷にあつて氷の明りとなり、その明りに全く馴れるに及んで、相隣する人の顔まで明瞭に見えるやうになるのである。夜が漸く更けて、寒さが益々加はると、氷原の所々に亀裂の音が起る。寒さのために氷が収縮(膨張?)するのである。亀裂の音は、所謂氷を裂くの音であつて、氷原を越えて四周の陸地山地まで響きわたる。その響きの中に立つて鋸を引いてゐる若者の背中には汗が流れてゐるのである。暫く立つて休息してゐると、その汗が背に凍りつくを覚える。さういふ時は、鋸の手を休めないやうにするのが、唯一防寒の手段になるのである。それ故、若者は只せつせと切る。腕が疲れると唄も出ない。只時々睡気ざましに大きな声を張り上げるものもあるが、それも永く続かない。あまり疲れて寒くなれば、氷の上で例の焚火をして一時の暖を取ることもある。斯様にして夜が白んで来ると、氷の上に積まれた氷板が山の如く累《かさな》つてゐるのである。夜明けからそれを運んで湖岸の田圃に積み上げる。田圃には、連夜切りあげられた氷板が、長い距離に亘つて正しく積み並べられて、恰《あたか》も氷の塁壁を築いた如き観を呈する。積まれた氷には多く筵類《むしろるい》を引被せておくのであるが、覆《おお》ひの筵がなくとも、白昼の日光で氷の溶けるといふやうなことはないのである。海抜二千五百尺の地の如何に寒いかといふことは、是で想像し得るであらう。若者は氷を積
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