んでから、疲れた体を各《おのおの》の家に運ぶ。朝飯を食べてから初めて暖い床に入つて、ぐつすりと寝入るのである。斯様にして得た金を、来春耕作の肥料に用意せらるるのは、経済の上乗にある家である。
 私の村は、又、夜になると、所々の家から藁を打つ槌の響が聞える。氷切り等に行かぬ人々が、草鞋や雪沓をつくるのである。ひつそりとした夜の村に響く槌の音は、重くて鈍くて底のない響であり、聞いて居れば居るほど物遠い感じがするのである。氷叩きの槌の音は、遠くて近く聞える、藁をうつ音は近くて遠い感じがする。
 私の村では、又、日中所々の家に機《はた》を織る音が聞える。町に行つて買う布よりも、糸を仕入れて、染めて織る方が安価で丈夫な布が得られるといふのである。縫ひ物をする女は炬燵に居る、機を織る女はそれが出来ない。それで機台は皆南向きの日当たりのよい室に据ゑ付けられるのである。冬枯の木立に終日ひびく機の音は、寒いけれども私の村を賑やかにする。どの家の機は今日で何日目であるとか、どの家の機は何日かかつて織り上がつたといふやうなことを、女たちは音を聞いて皆知つてゐるのである。閑寂な村にあつて、隣保相依る心は、機の音までが同情の交流になるのである。
 寒地である諏訪は、天然物が豊かでない上に、旧藩時代には誅求が可なり酷かつた。そのため、昔より人民に勤勉と質素と忍耐の習慣を造りあげた。信濃人は勤勉であると言はれてゐるが、その中で、諏訪人は殊に秀でて勤勉である。この習慣が今の生糸や寒心太《かんてん》の産業を生み且つ発達させた。私の住んでゐる寒村の人々が、厳冬の湖上に於て、昼夜となく働いてゐるといふことは、その諏訪人の気風の片鱗である。



底本:「心にふるさとがある3 川に遊び 湖をめぐる」作品社
   1998(平成10)年4月25日第1刷発行
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5−86)を、大振りにつくっています。
入力:浦山敦子
校正:noriko saito
2006年11月13日作成
青空文庫作成ファイル:
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