は欧州各国の錬金術師が集って来たが、その多くは錬金詐欺師に外ならなかった。ある時英国のケンブリッジの学者ジョン・ディーが助手のエドワード・ケリーを連れ、遥々、帝の宮殿をたずね、自分たちは鉛を金に変える術を知って居ると物語った。そこで帝は大に喜んで、早速実験させたところ、果して鉛を金に変ずることが出来た。その実、彼等は携えて来た光輝ある石を示して帝を催眠術にかけ、まんまと欺いたのである。彼等はそれによって沢山の報酬を貰い、ディーは化の皮のあらわれぬうちに英国へ逃げ帰ったが、助手のケリーはボヘミアの地主となりすまして居たため、後に、詐欺だということが明かとなって、帝のために殺された。
 有名なサン・ゼルマン伯や、カリオストロ伯なども、やはり、「哲学者の石」を発見したと称して、欧州の貴族社会の人々を欺いて歩いたものである。二十世紀になってすら、この種の詐欺は絶えぬのであるから、十八世紀の而も上流の人々を欺くのは比較的容易であっただろうと思う。彼等の駄法螺は大隈《おおくま》伯(侯[#「侯」に傍点]と書くべきだが、彼等と対照させるためにわざと伯[#「伯」に傍点]と書いた)などが十人寄ったとて叶う
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