きな歴史的探偵小説の一つであるが、事件そのものよりも、舞台が江戸であるということにいうにいえぬ嬉しさを覚える。綺堂氏自身もやはり「半七聞書帳」に於て、江戸の俤《おもかげ》をうつすに苦心しておられるようである。歴史的でない普通の探偵小説でも、英米の作品には、よく東洋例えば、ペルシャ、インド、支那、或はまたエジプトなどを舞台として書かれているのが少くないのは、つまり、ヴェールを通して物を眺めるような、或は股のぞきをして景色を見るような一種の言い難い美感を読者に与えることが出来るからであろう。サバチニはよく西班牙《スペイン》あたりを舞台にして探偵小説を書くが、イギリス、フランス、アメリカなどの事情に比較的馴れている私たちは(少くとも私自身は)あまりよく事情を知らない西班牙が背景となっていることにアットラクトされる。サクス・ローマーの探偵小説なども、主としてこの点をねらい所としているようである。
 ことに歴史的探偵小説に於ては、冒険なり、探偵なりの際、主人公の奇智(即ち作者の奇智だが)が、どう働くかということに無限の面白味がある。科学の発達した現代ならば、或は、こうもすることが出来よう或はああもすることが出来ようと思われる所を、科学の発達しなかった時代、即ち、常識を使うより外《ほか》道のない時代に、どうして目的を達するだろうかという所に、興味があるのである。別項に掲げた拙稿「世界裁判奇談」の中にも書いたが、大岡越前守その他の名判官の裁判物語は、その名判官の機智の働かせ方が興味の中心となっている。現代ならば訳なく解決出来ることでも過去の時代にはそうはいかない。そのいかなさ[#「いかなさ」に傍点]加減即ち、束縛された限局された活動範囲で、しかも見事に事件を解決するという所がいかにもうれしいのである。オルチー夫人はその点をねらって、歴史的探偵小説に大成功をしたと言い得よう。いう迄もなくフランス大革命の際、貴族たちは人民政府の命によって片っ端から、断頭台上に送られた。その可憐の貴族を英国の貴族サー・パーシー・ブレークネーが、厳重に警戒されたパリーから、巧みに救い出して英国へ連れてくるのであるから、事件そのものが既に面白い所へ、如何にして人民政府の眼を眩《くら》ますかが興味の中心となり、あまつさえ背景がフランス大革命時代のパリーと来ているのであるから、所謂《いわゆる》三拍子揃った訳で
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